2026年10月から、短時間労働者の社会保険は「週20時間以上かどうか」だけで判断される時代になります。
これまでの「月額賃金8.8万円以上」という基準は撤廃され、賃金が低いことを理由に未加入とする運用は通用しなくなります。
本記事では、この改正の背景と、企業が対応を誤ると生じる実務リスクについて整理して解説します。
この記事でわかること
- 2026年10月から社会保険の加入基準が「週20時間以上」に一本化される
- 「月額8.8万円以上」という賃金要件が撤廃される理由
- 2035年に向けた企業規模要件の段階的撤廃スケジュール
- 手取りが減らないための「年収150万円ライン」の考え方
- 経営者・労働者それぞれが今すぐ取るべき対応
「週20時間」への基準一本化と企業規模要件の変遷
短時間労働者の社会保険適用は、2016年以降、段階的に拡大されてきました。
ここでは、「週20時間」という基準がどのように標準化されてきたのか、その経緯を整理します。
歴史的経緯|10年かけて「週20時間」を標準にする
社会保険の適用基準は、この10年間で「正社員並みの労働時間」から「週20時間以上」へと軸足が移されてきました。
「4分の3基準」からの脱却
かつて、短時間労働者が社会保険に加入する際の基準は、正社員の所定労働時間および日数の「4分の3以上」働くこと(一般的に週30時間以上)が原則でした。
この「3/4基準」が長らく運用のベースとなっていましたが、働き方の多様化に伴い、より短い時間で働く層への保障拡充が進められることとなりました。
段階的拡大の推移
2016年からは、企業規模(従業員数)に応じて、週20時間以上の労働者を段階的に適用対象とする措置が取られてきました。
- 2016年10月~
- 従業員数 501人以上 の企業
- 2022年10月~
- 従業員数 101人以上 の企業
- 2024年10月~
- 従業員数 51人以上 の企業(現行)
このように、適用対象となる企業の範囲を徐々に広げることで、制度の浸透が図られてきました。
2026年10月の変更点|判定要素の整理と一本化
2026年10月の改正における実務上の主な変更は、加入対象者の判定要素が整理されることです。これまでは、以下の3つの条件をすべて満たす必要がありました。
- 企業規模
- 従業員数51人以上の企業(現行)
- 労働時間
- 週20時間以上
- 賃金
- 月額8.8万円以上
賃金要件の撤廃と基準の集約
近年の地域別最低賃金の上昇に伴い、週20時間の労働で月額8.8万円に達するケースが増加しています。こうした実態を踏まえ、2026年10月からは「月額賃金8.8万円以上」という要件が廃止されます。
- 改正後の判定基準
- 「企業規模」
- 「労働時間(週20時間以上)」 のみ
この変更により、賃金の多寡にかかわらず、契約上の労働時間が週20時間を超えるかどうかが加入判断の主要な基準となります。
行政および企業側の判定実務は簡素化される一方で、賃金水準に関わらず労働時間のみで適用が判断されることになります。
なぜ今、賃金要件(8.8万円)を撤廃するのか
今回の改正において、企業規模要件の拡大に先んじて「賃金要件(月額8.8万円)」が撤廃される背景には、近年の急激な賃金上昇と、それに伴う制度上の「歪み」の解消という明確な目的があります。
最低賃金の上昇による基準の形骸化
厚生労働省の社会保障審議会等で示されているデータによれば、地域別最低賃金の全国加重平均は令和6年度に1,055円に達しました。
これを週20時間の労働に換算すると、月額賃金は約9.1万円となり、現行の加入基準である「8.8万円」をすでに上回っています。
かつては「週20時間以上働いても、時給が低いために月8.8万円に届かない」というケースが地方を中心に存在しましたが、現在の賃金水準では、週20時間の労働時間を満たせば、金額基準は必然的に突破する状況にあります。
このように、実態として機能しなくなった「金額による線引き」を廃止し、判定を簡素化することが今回の措置の直接的な要因です。
就業調整による「歪み」の解消と労働力確保
もう一つの大きな理由は、いわゆる「106万円の壁」に伴う就業調整の解消です。
- 就業調整の現状
- 「月額8.8万円(年収約106万円)」を超えると社会保険料が発生し、一時的に手取りが減少することを避けるため、意図的に働く時間を抑制する労働者が少なくありません。
- 労働力不足への対応
- 最低賃金が上昇するほど、労働者は「8.8万円」を超えないようにさらに労働時間を短くせざるを得ず、現場の労働力不足に拍車をかけるという悪循環(歪み)が生じています。
賃金要件を撤廃することで、「一定金額を超えないように時間を抑える」という動機を制度上から取り除き、賃金上昇がそのまま手取りの増加、あるいは社会保険加入による保障(厚生年金や傷病手当金等)の拡充に直結する構造へと組み替える狙いがあります。
これにより、労働者が自身の希望に応じた労働時間を確保しやすい環境を整備することを目指しています。
【年表】2035年に向けた「企業規模要件」の段階的撤廃
今回の改正の大きな特徴は、小規模事業所への経営的影響を考慮し、約10年という長い期間をかけて極めて慎重に適用範囲を広げていく点にあります。
国が示した「激変緩和」を含む正確なロードマップは以下の通りです。
段階的拡大のスケジュール
| 施行時期 | 対象となる企業規模(従業員数) | 改正のポイントと背景 |
| 2024年10月〜 | 51人以上 | (現行制度)中小企業への適用が本格化した段階。 |
| 2026年10月 | 51人以上 | 賃金基準(8.8万円)が先行して撤廃される。人数枠の変動はないが、加入判定が労働時間のみとなる。 |
| 2027年10月 | 36人以上 | ここから零細企業への拡大が開始。経営への影響を抑えるため、細かな「刻み」による拡充が始まる。 |
| 2029年10月 | 21人以上 | さらに対象範囲が拡大。少人数の事業所においても社保加入を前提とした経営が求められ始める。 |
| 2032年10月 | 11人以上 | 適用範囲がさらに小規模な事業所へ。 |
| 2035年10月 | すべての企業(1人〜) | 企業規模要件の完全撤廃。 働いている場所の規模に関わらず、社会保険の「全面的な被保険者化」が完了する。 |
段階的実施の背景|小規模事業所への「激変緩和」
厚生労働省の審議会等において、企業規模要件を一度に撤廃せず、あえて数年おきのステップを設けた背景には、小規模事業所の負担軽減があります。
- 経営基盤への配慮
- 小規模な事業所ほど、社会保険料の会社負担分が経営に与える影響が相対的に大きくなります。一気に拡大するのではなく、2035年までという十分な準備期間を設けることで、人件費の増加を考慮した価格転嫁や事業計画の見直しを促す狙いがあります。
- 事務負担の習熟
- これまで社会保険の手続きに馴染みがなかった小規模事業主に対し、制度の周知と事務体制の整備を段階的に進めてもらうための配慮でもあります。
2026年の賃金要件撤廃を皮切りに、2035年には「企業規模に関わらず、週20時間以上働けば社会保険に加入する」という社会の新しい標準が完成することになります。
経営者は、自社がどのタイミングで対象となるかを正確に把握し、中長期的な視点で人員配置や収支を検討していく必要があります。
統計から見る「非正規労働者」の実態|加入推進の難しさと可能性
社会保険の適用拡大を進める上で、避けて通れないのが労働者の意識の変化です。
総務省の「労働力調査」などの統計からは、かつてのイメージとは異なる非正規労働者の姿が浮かび上がっています。
「不本意非正規」の劇的な減少
かつては「正社員になりたいが、職がないためにやむを得ず非正規で働いている」という、いわゆる「不本意非正規」が社会問題となっていました。
しかし、近年の人手不足を背景に、この割合は大きく減少しています。
「不本意非正規」は8.4%
総務省「労働力調査(基本集計)2023年(令和5年)平均結果」によると、非正規雇用(2,124万人)のうち、「正規の職員・従業員の仕事がないから」という理由で現在の雇用形態に就いている、いわゆる「不本意非正規」の層は179万人(約8.4%)に留まります。
この数字の多寡については議論の余地があるものの、統計上は、非正規労働者の約9割以上が「自らの意思」や「ライフスタイル」に合わせて現在の働き方を選択していることを示しています。
この約1割弱の層にとっては、社会保険の適用拡大は「正社員に準ずる保障」が得られる待望の処遇改善となります。
企業側にとっても、社保完備を打ち出すことで、こうした意欲ある人材の定着を図るポジティブな材料となります。
大多数を占める「意図的非正規」へのインパクト
一方で、非正規労働者の約9割は、自らの意思でその働き方を選んでいる「意図的非正規」の層です。
その理由の多くは「自分の都合の良い時間に働きたい」「家事や育児と両立したい」といったものです。
- 「扶養内希望」という高い壁
- この層、特に配偶者の扶養内で働くことを前提としている労働者にとって、2026年の賃金要件撤廃やその後の企業規模拡大は、必ずしも歓迎されるものとは限りません。
- 手取り額の減少を理由に、労働時間をさらに短縮しようとする「就業調整」を誘発するリスクを孕んでいます。
実務の最前線|ベネフィットの提示と説得
今後の実務において重要となるのは、保険料という「コスト」の側面だけでなく、加入によって得られる「ベネフィット(権利)」をいかに具体的に伝えられるかです。
- 将来の年金額のアップ
- 国民年金(基礎年金)に厚生年金が上乗せされることで、将来受け取る老齢年金が月額・年額でいくら増えるのかという具体的試算。
- 生活を守る「傷病手当金」と「出産手当金」
- 国民健康保険にはない、病気や怪我で働けなくなった際の所得補償制度。
- 万が一の際のセーフティネットとしての価値。
- 障害年金・遺族年金の充実
- 万が一の事態が起きた際、厚生年金加入者であることで受け取れる保障の厚みが変わる点。
統計が示す通り、多くの労働者が「自分の都合」を優先して非正規を選んでいる現在、企業側には「単なる義務だから入ってください」という説明ではなく、加入が従業員本人の長期的な人生設計においてどのようなメリットを生むのかを、個別に説得していく姿勢が求められています。
経営者が取るべき具体的な対策と指針
2026年10月以降、社会保険の加入判定は「週20時間以上か否か」という労働時間のみに一本化されます。
判定基準がシンプルになる分、経営現場では「契約」と「実態」の緻密な管理が、これまで以上に強く求められます。
加入義務が発生する「タイミング」の厳格化
加入の要件を満たしているかの判断は、主に以下の2つの視点で行われます。
- 契約による判断(入り口)
- 雇用契約書や労働条件通知書の所定労働時間が「週20時間以上」となっている場合、その契約期間が始まった初日(1日目)から加入義務が発生します。
- 実際にその週に何時間働いたかは関係ありません。
- 実態による判断(運用)
- 契約上の時間は週20時間未満であっても、残業などで実際の労働時間が「連続する3ヶ月」の平均で週20時間以上となった場合、実態が契約を上回っているとみなされ、原則として4ヶ月目から加入義務が発生します。
2026年10月からは金額基準(8.8万円)がなくなるため、「時間は20時間を超えているが、賃金が低いから未加入で良い」という理屈は一切通用しなくなります。
遡及適用のリスクと企業防衛
年金事務所の調査では、加入要件を満たした時点まで遡って適用を求められる「遡及適用」のリスクがあります。
- 是正指導の実態
- 過去の事例では、本人の拒否などを理由に未加入であった場合でも、要件を満たしていれば最大2年間遡って保険料を徴収されるケースがあります。
- 2026年以降は判定基準が「時間」に集約されるため、勤怠記録との照合だけで未加入が容易に判明します。
- 意図しない遡及徴収を防ぐためには、日次・月次の労働時間モニタリングが不可欠です。
社会保険加入で“手取りが減る”問題|解決ラインは年収150万円
社会保険に加入する場合、中途半端な働き方では手取りが減少するため、年収150万円程度まで働くことが現実的なラインとなります。
金額に関わらず「週20時間以上」で強制加入となる以上、経営者は従業員に対し、手取り減少による不満や離職を防ぐための「具体的な数字」を提示する必要があります。
- 「手取り逆転」の現実
- 例えば、時給1,050円で「週20時間」勤務の場合
- 年収:約109万円
- 社会保険料:約16万円(健康保険料・厚生年金保険料の本人負担分の合計。所得税・住民税は別途発生します)
- 手取り:約93万円
- 例えば、時給1,050円で「週20時間」勤務の場合
→ 加入前(年収105万円・非加入)より手取りが減少します
- 推奨ラインは「年収150万円」
- 加入前と同等の手取り(約105万円)を確保するには、少なくとも年収125万円まで働く時間を増やす必要があります。
- さらに、将来の年金増というメリットを実感しつつ、手元に現金をしっかり残すための現実的な目標ラインは、年収150万円程度となります。
→ 社会保険加入を前提とするなら、年収150万円ラインまで働く設計が必要です。
企業が取るべき対応は、基本的にこの2つに集約されます
2026年10月以降は、「週20時間以上かどうか」で社会保険加入が決まるため、企業は次のいずれかの対応を明確に選択する必要があります。
① 社会保険に加入させない場合
・契約上の労働時間を週20時間未満に設定する
・実態でも3ヶ月平均で20時間を超えないように管理する
② 社会保険加入を前提とする場合
・週20時間以上で安定的に勤務させる
・年収150万円ラインを目安に労働時間を設計する
→ 「なんとなく20時間前後」という運用が最もリスクになります。
まとめ|今から準備すべきこと
2026年の改正は、一時的なルール変更ではなく、すべての企業に影響が及ぶ流れの一部です。
今後は2035年にかけて段階的に対象企業が拡大し、最終的には企業規模に関わらず「週20時間以上働けば社会保険に加入する」ことが前提となっていきます。
そのため、経営者には次の2点が求められます。
・社会保険料を前提とした人員配置・収支設計
・契約と実態を一致させる労働時間管理
制度改正を「コスト増」と捉えるのではなく、働き方を見直す機会として活用することが重要です。
労働者の方へ
- 2026年10月以降、従業員51人以上の企業で週20時間以上働いていれば、賃金の額にかかわらず社会保険に加入することになります。
- 将来の年金や傷病手当金といった保障が手厚くなる一方、手取りが一時的に減る可能性もあります。
- なお、対象企業の範囲は2035年にかけて段階的に拡大し、最終的にはすべての企業が対象となります。
- 自分の勤務先の規模と働き方・年収設計を、今のうちに見直しておくことをお勧めします。
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- 執筆者|社会保険労務士 戸塚淳二(社会保険労務士登録番号|第29240010号)
- 日々、企業の「ヒト」と「組織」に関わる様々な課題に真摯に向き合っています。労働法の基本的な知識から、実務に役立つ労務管理の考え方や人事制度の整え方まで、専門家として確かな情報を初めての方にもわかりやすくお伝えします。

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