令和3年8月22日。抜けるような青空が広がり、まさに試験日和です。最寄りの駅から関大前駅まで、念には念を入れて1時間20分と見当をつけていました。9時半には試験会場の席に落ち着いていたい。そう考えれば、家を出るのは8時前がベストだろう。
家族には、この日に社会保険労務士の試験を受けるとは伝えていませんでした。妻と、2人の高校生の息子たち。日頃からリビングの炬燵が私の指定席でしたので、「お父さん、なんかやってるな」程度には思っていたかもしれません。しかし、それが一体何なのか、具体的な目的まではおそらくは知らなかったと思います。
なぜ炬燵で勉強していたのか?我が家は4LDKの一戸建てなのですが、2階の3部屋のうち2つは息子たちの部屋。残る一部屋は私の寝室、そこにはクイーンサイズの大きなベッドが鎮座しており、勉強机を置くようなスペースは皆無でした。1階のもう一部屋は、ほぼ物置と化しています。消去法で、リビングの炬燵が私の学習スペースとなったわけです。冬場は暖かく快適ですが、夏の暑さはなかなか堪えます。それでも、他に選択肢はありませんでした。
五十路の挑戦、 試験会場へ
話を試験当日に戻します。近鉄日本橋で乗り換え、Osaka Metro堺筋線へと足を進めます。電車は徐々に乗客で埋まっていきました。この路線は途中から阪急千里線へと直通します。休日の朝にしては混雑しているな、と感じていました。
幅広い年齢層
いよいよ関大前駅に到着。下車しようとすると、なんと乗客の8割、いや9割近くがいっしょに下車しました。えっ?まさかこれ全員社労士試験受けるの?これほどの人数が同じ目的を持っているとは。受験生もこの中にいるのだろうとは思っていましたが、老若男女、様々な年代層の人がいたため、まさかそのほとんどが受験生だとは夢にも思いませんでした。
少し前のアルバイト経験が、私の先入観を形成していたのかもしれません。公認会計士試験の試験監督をしたことがあるのですが、その時の受験生はほとんどが学生さんでした。たまにこの人30代やな、という人もいましたが、いずれにしても、かなり若い方々ばかりでした。
正直に言って、社労士試験も同じようなものだろうと勝手に思い込んでいました。しかし、現実は全く違いました。年齢層は驚くほど幅広い。私より年上の方もいるどころか、そこそこいます。逆に、20代、30代と思われる若い世代はひょっとして少数派なのか?と見受けられました。
社労士試験における50歳
実は、この試験の一か月弱前に、私は50代に突入していました。事前の調査不足と言われればそれまでですが、「50代で社会保険労務士に挑戦する人なんて本当にいるのだろうか?試験会場で浮いてしまうのではないか?」という不安が頭をよぎっていたのは事実です。しかし、会場には私のようなロートルも少なくなく、むしろ私よりも一回り以上年上だろうという方もちらほら見受けられっました。その光景に、なぜか少しホッとしたのを記憶してます。
受験番号を頼りに教室を探します。案内表示に従って進むと、「うおっ、5階やん。しかもエレベーターがない。」五十路の体には少々過酷な道のりです。息を切らしながら階段を上り、ようやく指定された教室にたどり着きます。
周囲の雰囲気に惑わされず 試験開始前の心境
高校受験の時も、大学受験の時も、いつも同じことを思ったのですが、なぜ、周りの受験生は皆、自分より賢そうに見えるのでしょう?みんな真剣な表情で参考書をパラパラとめくっていたり、スマホを見てたりします。そのたたずまいは、どこか「デキる人」のオーラをまとっているように感じられます。
一方、自分はといえば、まあ……今回はわりと落ち着いていました。焦るでもなく、変に緊張するでもなく、かといって油断するでもなく。
試験開始30分前。さすがに睡魔に襲われることもありません。「今さら詰め込んでも焼け石に水だろう」と思いながら、最後に軽く参考書を見返しをしていました。それでも、周囲の受験生はなぜか全員、「こいつら、全員模試偏差値70以上だろ」みたいな、見えないオーラをまとって見えるから不思議です。
しかし、これまでの経験から分かっていることがあります。あの「賢そうな雰囲気」は、案外、見た目だけなのです。本番で本当に大事なのは、周りがどう見えるかではなくて、自分がいつも通りに力を出し切れるかどうか、ただそれだけなはずです。
全く緊張していなかった、と言えば嘘になるかもしれません。心臓はいつもより少し早く鼓動していたかもしれません。しかし、意外と冷静に周りの状況を観察できていたと思います。試験開始を待つ30分間。変に焦ることもなく、いい意味で「自分のペース」を保てていたと思います。
そして、いよいよ、運命のゴングが鳴ります。
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