本記事は「退職金・企業年金制度」シリーズの第2話です。
前回の記事では、退職金制度が単なる福利厚生ではなく、優秀な人材を惹きつけ、定着させる「有効な経営戦略」であることをお伝えしました。
前回の記事は👉退職金制度は中小企業の最強戦略|採用・定着・節税を同時に実現
「よし、うちも退職金制度を導入しよう。」
そう決意した経営者の前に、次に立ちはだかるのは「選択肢の迷路」です。
時間をかけて調べれば調べるほど、「結局どれが正解なのか」がわからなくなる。そんな経験をした経営者は少なくありません。
「中退共が一番無難だと聞いたが、特退共との違いは何か?」
「従業員だけでなく、経営者自身の退職金も一緒に準備できるのはどれか?」
「最近は企業型DCが流行っているらしいが、手続きが面倒ではないか?」
色々ありすぎて、結局何が自社にとっての正解なのかわからない。
どれを選べば「損」をせず、社員も会社も幸せになれるのか。
この「判断基準の不在」こそが、多くの経営者を足止めさせている正体です。
この記事で分かること
- 退職金制度を考えるうえで絶対に外せない「3つの判断軸」(場所・出口・責任)
- 多くの企業が陥りがちな「社内準備の落とし穴」と、外部制度を選ぶべき本当の理由
- 中小企業の標準装備である「中退共」の驚くべき手離れの良さとメリット
- 地域密着型で手軽に導入できる「特退共」や、将来の財務リスクを最小限に抑えられる「企業型DC」の特徴
- 他社が実際にどの「軸」を選んでリスクヘッジしているのか、最新の公的統計データから見るリアルな実態
- 自社の財務状況や経営スタンスに合わせて、どの制度を選ぶべきか(5つの制度から自社に合う方向性を絞り込む考え方)
なぜ退職金制度は「選択肢の迷路」で迷ってしまうのか
なぜなら、どの制度にも「良い面」があり、同時に必ず「会社が負うべきリスク」がセットになっているからです。
大事なのは、カタログを見比べることではありません。
「会社として、どの程度のリスク(責任)を背負う覚悟があるか」という一点で、選択肢を整理することです。
「社員に将来の受取額を100%保証してあげたいのか」 それとも 「会社が支払うコストを毎月固定し、将来の不安をゼロにしたいのか」
この経営判断の「軸」さえ決まれば、あなたが進むべき道は自然と一本に繋がります。
退職金制度を整理する「3つの軸」
乱立する制度(中退共・特退共・企業型DC・DB・社内積立など)を前にして迷ってしまうのは、判断するための「基準」が見えていないからです。
複雑な選択肢をスパッと整理するために、経営判断に必要な「3つの軸」を確認していきましょう。
第1の軸|お金を「内部」でためるか、「外部」に出すか(場所の軸)
まず決めるべきは、退職金として渡す予定のお金を、自社の手元に置いておくのか、それとも社外に切り離してしまうのかという「場所」の選択です。
- 内部準備(退職一時金制度・自力払い)
- 仕組み:社内のキャッシュとして手元に置いておき、退職時にその都度支払う。
- メリット:手元の資金を自由に使える。
- リスク:数人が同時に辞めた際、一気にキャッシュが枯渇する恐れがある。
- 外部積立(共済・企業年金など)
- 仕組み:毎月の掛金を外部の機関に払い込み、会社の資産と完全に切り離す。
- メリット:将来の支払いが平準化され、税制優遇(全額損金など)を受けられる。
- リスク:一度外に出したお金は、会社が自由に引き出すことはできない。
第2の軸|「退職一時金」なのか、「退職年金」なのか(出口の形の軸)
そしてもう一つの分かれ目が、「どのように受け渡すか」という出口の形の選択です。
- 退職一時金制度(一括受取型)
- 仕組み: 退職するタイミングで、まとまった金額を一度に支払う仕組み。
- 代表例: 中退共、特退共、社内の退職一時金規程。
- 退職年金制度(分割・運用型)
- 仕組み: 退職後に一定期間に分けて支給する、または外部で運用された資産を受け取る仕組み。
- 代表例: 企業型確定拠出年金(企業型DC)、確定給付企業年金(DB)。
第3の軸|「出口(受取額)」を約束するか、「入口(掛金)」を約束するか(責任の軸)
そして最も重要な経営判断のポイントが、「誰が運用のリスクを負い、最終的な金額に責任を持つか」というルールの違いです。
- 受取額の見通しが立ちやすい制度(中退共・特退共・DB・自社で準備する退職金)=社員は将来受け取る退職金額の見通しを立てやすい制度です。
- 経営者の視点:退職金の水準をあらかじめ設計しやすく、従業員に安心感を与えられます。ただし、自社の退職金規程で一定額を保証する内容としている場合は、不足分を会社が負担しなければならないケースもあります。
- 社員の視点:将来受け取れる退職金の見通しが立ちやすく、安心して長く働きやすい制度です。
- 拠出確定型(企業型DC)=「入口」を約束する 「毎月〇〇円を積み立ててあげます。その後の運用は自分でやってね」と、スタートの金額だけを約束する形です。
- 経営者の視点:毎月の掛金を払った時点で会社の責任は完了。運用がどうなろうと追加負担は発生せず、「将来の支払いリスク」をゼロにできるのが最大の魅力です。
- 社員の視点:自分の運用次第で将来の受取額を増やせる楽しさがある。
データが示す現実|他の企業はどのように準備しているのか?
労働政策研究・研修機構(JILPT)が2020年に公表した「企業における退職金等の状況や財形貯蓄の活用状況に関する実態調査」(調査シリーズNo.195)によると、退職一時金制度を持つ企業がどのような方法で資金を準備しているかについて、次のようなデータが報告されています(複数回答)。
- 社内準備(自力払い): 64.5%
- 中小企業退職金共済制度(中退共): 46.5%
- 特定退職金共済制度(特退共): 7.5%
このデータを見ると、多くの企業が手元のキャッシュによる「社内準備」をベースにしながらも、約半数の企業が「中退共」という外部の共済制度を頼りにしている実態がわかります。
さらに、企業年金連合会が公表している「決算確定拠出年金実態調査結果(概要版)」によれば、企業型DC加入者数は2018年3月末の約648万人から2023年3月末には約805万人へと、5年間で1.2倍に増加しています。
退職一時金だけでなく、企業型DCという「外部で運用する仕組み」を導入する企業が着実に増えている実態がうかがえます。
ここで、経営者として一つ重要な疑問が湧くはずです。 「データ上は社内準備が64.5%と一番多いなら、うちも手元で貯めておけばいいのではないか?」と。
結論から申し上げると、プライム市場などに上場しているような大企業であれば、潤沢なキャッシュフローや退職時期の統計的予測、盤石な財務基盤があるため「社内積立(自力払い)」も成り立ちます。
しかし、一般の中小企業が自社内部だけで退職金を準備するのは、実務上極めて困難であり、致命的なリスクを伴います。
社員数が数十名の中小企業において、数名の退職が偶然重なっただけで、数千万円のキャッシュアウトが一気に発生し、一発で資金繰りがショートしかねません。
さらに、社内に現金を置いておいても経費(損金)にはならず、見えない借金として財務を圧迫します。
「退職金は社内で何とかなるだろう」とすべてを自力払いに頼っていると、いざという時に会社の存続すら危うくなりかねません。
だからこそ、財務体力の限られる中小企業こそ、会社の資産と社員の退職金をスパッと切り離せる「外部の箱(制度)」を活用する必要があるのです。
中小企業が検討すべき「5つの箱(具体的な制度)」
3つの軸と、中小企業が自社内部で貯めることの難しさを踏まえた上で、現実的な選択肢となる主要な「5つの箱」を見ていきましょう。
1.【中退共】迷ったらこれ。中小企業の退職金制度「標準装備」
「中小企業退職金共済(中退共)」は、国がサポートする中小企業のための退職金制度です。
- どんな仕組み?
- 会社が毎月、外部の共済機構に掛金を振り込みます。
- 社員が辞める時は、共済から直接本人の口座へ退職金が支払われます。
- 加入対象者は原則として従業員のみで、法人の役員(取締役等)は加入できません。ただし、部長・工場長など実質的に従業員としての職務を担う「使用人兼務役員」は例外的に加入対象となります。
- 加入対象の企業は、業種ごとに定められた企業規模の要件(例:一般業種は常用従業員300人以下または資本金3億円以下、小売業は50人以下または5,000万円以下など)を満たす中小企業に限られます。
- 掛金は月額5,000円〜30,000円の範囲で設定でき、パート等の短時間労働者には特例で2,000円からの低い掛金月額も用意されています。
- 最大のメリット
- 「手離れの良さ」です。
- 一度加入すれば、会社は毎月の振込をするだけでOK。
- 管理コストが極めて低く、さらに国からの掛金助成(新規加入時など)が受けられるのも大きな魅力です。
- こんな企業向け
- 「まずは世間並みの退職金制度を、手間をかけずに整えたい」という、土台作りを優先する経営者の方に最適です。
2. 【特退共】中退共と並ぶ、地域密着型の外部積立制度
「特定退職金共済(特退共)」は、商工会議所や商工会などが生命保険会社等と共同で運営する、地域に根差した退職金制度です。
- どんな仕組み?
- 中退共と同じように外部で掛金を積み立てていく仕組みです。
- 加入対象は原則として従業員のみで、中退共と同様に法人の役員(取締役等)は加入できません。ただし、部長・工場長など実質的に従業員としての職務を担う「使用人兼務役員」は例外的に加入対象となります。
- 最大のメリット
- 中退共と異なり企業規模の制限がなく、成長して中小企業の枠を超えても継続利用できる点、そして掛金を月額1,000円単位から柔軟に設定できる点です。
- パート・アルバイトを含む多様な雇用形態の従業員がいる企業でも導入しやすく、地元の商工会議所を窓口に相談しながら進められる安心感もあります。
- こんな企業向け
- 「中退共と合わせて地域の共済制度も比較検討したい」「地元の商工会議所を通じて手軽に外部積立を始めたい」という企業に向いています。
3.【企業型DC】財務リスクを抑えやすい退職金制度
近年、導入企業が急増しているのが「企業型確定拠出年金(企業型DC)」です。
- どんな仕組み?
- 会社が毎月決まった額(掛金)を出し、社員自身がそのお金を運用します。
- 将来もらえる額は運用の成果次第です。
- 最大のメリット
- 「将来の追加負担がゼロ」であることです。
- 会社は「毎月の掛金」を出した瞬間に責任が完了します。
- 将来、想定外の持ち出し(自力での補填)が発生しないため、財務の透明性と安定感は非常に高いと言えます。
- こんな企業向け
- 「会社の財務リスクを最小限に抑えたい」「社員に資産形成の意識を持ってほしい」という、合理的で先見性のある経営者の方に向いています。
4.【確定給付企業年金(DB)】採用力が高い。大手並みの退職金制度
「確定給付企業年金(DB)」は、かつての日本的雇用の王道を行く手厚い制度です。
- どんな仕組み?
- 「辞める時に必ず〇〇万円渡す」という約束を、外部の基金などを通じて守る仕組みです。
- 最大のメリット
- 「圧倒的な採用競争力」です。
- 「わが社は将来、確実にこれだけの退職金を保証します」と言えることは、安定を求める優秀な中堅層にとって何よりの安心材料になります。
- こんな企業向け
- 利益基盤が安定しており、「他社が真似できない福利厚生で、最高の人材を惹きつけ、一生この会社で働いてほしい」と願うオーナー企業にふさわしい選択です。
5. 【生命保険(法人保険)】オーダーメイドの準備。保障と退職金を同時に叶える手法
「生命保険(法人保険)」は、経営者や従業員の万が一の保障を備えながら、退職金の財源をしっかりと確保していく手法です。
- どんな仕組み?
- 法人が契約者および保険料の負担者となり、積み立てた保険の解約返戻金や満期金を、将来の退職金の原資として活用します。
- 最大のメリット
- 財務の状況や資金繰りのタイミングに合わせて、保険の種類や積立額を柔軟にコントロールできる「オーダーメイド性の高さ」です。
- さらに、規程の設計次第で経営者自身の退職金準備や事業承継対策と並行して進められる点も大きな魅力です。
- こんな企業向け
- 「画一的な共済だけでなく、自社の財務スケジュールや節税バランスに合わせた柔軟な退職金準備を行いたい」という経営者の方に最適です。
| 制度 | 導入しやすさ | 財務リスク | 役員加入 | 向いている会社 |
|---|---|---|---|---|
| 中退共 | ◎ | 小 | ×(使用人兼務役員のみ可) | 初めて導入する会社 |
| 特退共 | ○ | 小 | ×(使用人兼務役員のみ可) | 地域の共済制度も比較したい会社 |
| 企業型DC | △ | 最小 | ○ | 財務を安定させたい会社 |
| DB | △ | 大 | ○ | 採用力を高めたい会社 |
| 法人保険 | ○ | 小~中 | ○ | 柔軟に退職金財源を準備したい会社 |
まとめ|自社に合ったルートの選び方
「どの制度が正解か」という万能な答えはありません。大切なのは、「自社の財務状況と、誰にどんな形で報いたいか(経営哲学)」という軸に照らし合わせて選ぶことです。
経営スタンスと選ぶべき制度(箱)の方向性を整理しました。自社の現在地と照らし合わせてみてください。
| 優先したい経営スタンス | 選ぶべき制度(箱)の方向性 |
| まずは手堅く、低コストで従業員の土台を作りたい | 中退共(中小企業退職金共済) |
| 中退共に加えて地域の共済制度も比較検討したい | 特退共(特定退職金共済) |
| 経営者自身の退職金も柔軟に準備したい | 法人保険 |
| 将来の財務リスクや追加負担を一切持ちたくない | 企業型DC(確定拠出年金) |
| 手厚い給付保証で、他社を圧倒する採用力をつけたい | DB(確定給付企業年金) |
退職金制度の選択は、単なる「福利厚生の導入」ではありません。
会社が背負うリスクの大きさを決め、誰の未来をどう守るかという経営の意思そのものです。
「どれが一番得か」という表面的な損得勘定ではなく、自社の現在地を冷静に見つめ直し、無理なく続けられる計画的な制度設計へ一歩を踏み出しましょう。
次回予告|退職金規定の「一行」が会社の負担を決める
さて、わが社に最適な「箱(制度)」の方向性は見えてきたでしょうか。
しかし、制度を決めることと同じくらい、あるいはそれ以上に重要なのが「退職金規定(社内ルール)」の書き方です。
実は、この「一行の書き方」次第で、会社が別途お金を貯める必要があるかどうかが決まります。
「規定の罠」に注意
- 「勤続〇年で1,000万円払う」という規定のまま、中退共に入っていませんか?
- もし中退共から800万円しか出なかったら、差額の200万円は会社の通帳から「自力」で持ち出すことになります。
制度は整えたはずなのに、気づかないうちに会社が追加負担を背負ってしまうケースは決して珍しくありません。
次回は、社労士の実務でよく見かける退職金規定の落とし穴と、その対策について解説します。
退職金制度を「絵に描いた餅」にしないための、実務上のポイントをお伝えします。
最後までお読みいただきありがとうございました。ご相談の際は、以下よりお気軽にお問い合わせください。☟
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- 執筆者|社会保険労務士 戸塚淳二(社会保険労務士登録番号|第29240010号)
- 日々、企業の「ヒト」と「組織」に関わる様々な課題に真摯に向き合っています。労働法の基本的な知識から、実務に役立つ労務管理の考え方や人事制度の整え方まで、専門家として確かな情報を初めての方にもわかりやすくお伝えします。
コメント
奈良社労士会の中垣です。何度も申し訳ありません。修正いただいたブログを確認させていただきました。
「例えば、「1,000万円」を手にするとき、給与(賞与)ともらう場合と、退職金でもらう場合では、これだけの差が出ることがあります。
給与・賞与でもらう場合
高い所得税・住民税が課されるだけでなく、社会保険料も引かれます。
年収や家族構成によっては、手残りが額面の6〜7割程度になるケースもあります。
退職金でもらう場合
「退職所得控除」が適用されます。
勤続20年であれば800万円まで非課税、さらにそれを超えた分も「半分(1/2)」にしてから課税されるため、所得税・住民税の負担を大きく抑えられる場合があります。
また、退職金は社会保険料の対象ではありません。
経営者必見|退職金と給与、社員の手残りが多いのはどちらか?
同じ人件費を投じるのであれば、国に税金として納める分を減らし、
社員の手残りをできる限り多く増やすほうが、経営として合理的であり、
社員にとってもメリットがあると言えるでしょう。
「給与アップ」は目に見えて分かりやすいですが、先を見据えた経営者こそ「退職金」という箱を使い、会社と社員のトータルコストを最適化しているのです。」
上記ブログの「また、退職金は社会保険料の対象ではありません。」「会社と社員のトータルコストを最適化しているのです。」の表現について、確かにその通りなのですが、社会保険料がかからないこと、退職金で社会保険料を避けられるという印象を与えてしまい誤解を招く可能性もあります。このような表現のHPはほかにもあると思いますが、より、良い表現方法として、
「社会保険は従業員の安心を高めて採用・定着に寄与し、退職金は長期勤続を促しつつ給与より社会保険料・税負担を抑えた人件費設計ができる点が大きなメリットと言えますが、一方、社会保険には病気・出産・障害・老後・遺族への公的保障が手厚くなり、将来受け取る年金額も増える側面が有ります。退職金は長期勤務を前提に老後資金や転職時の生活資金を確保できるところから、両方のメリットを活かして活用することが従業員にも受け入れられます。」といったトーンで表現いただくのが良いかと思います。当初のブログの主旨と離れてしまうかもわかりませんが、給料の後払いで会社の負担を軽減するという側面だけを強調すると誤解を招く恐れがありますので、ご理解の程、よろしくお願いします。