本記事は「企業のハラスメント対策バイブル」シリーズの第15話です。
前回の記事では、2026年10月の義務化を前に、カスハラがもはや「個人の不運」ではなく「組織の存続を脅かす暴力」へと変質している実態、そして司法が引く「拒絶の境界線」の基本定義を明らかにしました。
前回の記事は👉2026年義務化|カスハラ対策は安全配慮義務へ―企業が今整えるべき実務対応
そこで浮き彫りになったのは、たとえ企業側にミスがあったとしても、顧客の「態様(How)」が社会通念を逸脱すれば、組織として対応を打ち切る権利があるという事実です。
しかし、現場に「拒絶の境界線」を示すだけでは、企業防衛としては不十分です。
経営者が今、最も警戒すべきリスクの正体。
それは、カスハラを巡る争いの構図が、対外的な「会社 vs 顧客」から、対内的な「会社 vs 従業員」へと決定的に移行しているという事実です。
この記事で分かること
- 2026年10月以降、カスハラ放置は「運の悪さ」ではなく「企業の過失」と定義される
- 訴訟の構図は「対顧客」ではなく、従業員から「安全配慮義務違反」を問われる「対会社」へ
- 司法が認める「拒絶の境界線」:態様の不相当性、目的の不当性、時間の不相当性
- 現場に「上手く受け流せ」と命じるのは、法的義務の放棄であり、敗訴への直行便
- 2026年基準の防衛術:管理職による「組織的宣告」と、感情を排した「客観的事実の記録」
カスハラ対策義務化による安全配慮義務の転換点|2026年10月、放置は「過失」になる
これまで、顧客からの理不尽な暴言や執拗な要求によって従業員がメンタルを病んだとしても、多くの現場では「運が悪かった」「難しい客だった」と、個人の耐性の問題や不運として片付けられる傾向がありました。
しかし、2026年10月の改正法施行は、この解釈を根底から覆します。
カスハラ対策が「雇用管理上の措置義務」となることで、対策を怠ったまま被害が発生した事態は、もはや不可抗力のトラブルではありません。
それは「法が定めた義務を履行しなかった、企業の明確な過失(安全配慮義務違反)」として、法的に定義されることになるのです。
カスハラ訴訟の構図|会社が「なぜ盾にならなかったのか」を問われるリスク
カスハラが裁判沙汰になる際、法廷で問われるのは「顧客がどれほど酷かったか.」ではありません。
「その猛火の中に、なぜ会社は従業員を丸腰で立たせ続けたのか」という、企業の防衛不全です。
- 責任の所在の逆転
- 加害者である顧客を特定し、個人を相手に損害を回収するのは時間もコストもかかり、現実的ではないケースが大半です。
- 一方で、従業員にとって「安全な環境を提供する契約義務を怠った会社」を訴えることは、雇用契約上の正当な権利行使となります。
- 「誠意」という名の放置
- 「お客様には誠意を持って対応しろ」という指示が、現場を孤立させ、結果として従業員の心身を壊した場合、その言葉は法廷で「安全配慮義務を放棄し、被害を拡大させた証拠」へと変わります。
カスハラという「社外からの攻撃」に対する企業の不作為
これから本格化するカスハラ訴訟で断じられるのは、社外からの攻撃に対する「企業の不作為(消極的な放置)」です。
たとえ相手が「客」であっても、従業員が身体的・精神的な危機にさらされているならば、会社は即座に介入し、その危険を排除する法的義務を負っています。
会社を、そして従業員を守るためには、もはや精神論は通用しません。
司法が認める「客として扱わなくてよいデッドライン」を把握し、組織として理不尽を遮断する。
この決断こそが、2026年以降の経営における「最強の防衛策」となります。
カスハラ裁判例に学ぶ|企業の生死を分ける対応の分岐点
2026年の義務化以降、裁判所が企業の責任を問う際の「物差し」はより厳格になります。
企業の生死を分けるのは、顧客の質の良し悪しではなく、「組織として介入したか、あるいは現場を見捨てたか」という一点に集約されます。
敗訴の典型|甲府地方裁判所|富士急行(富士急山梨バス)事件・2011年(平成23年)10月21日
カスハラにおける「企業の安全配慮義務」を語る上で避けて通れない、峻烈な敗訴例です。
- 事案の概要
- 路線バスの運転手に対し、特定の乗客が「運行が遅れた」等の些細な理由から執拗なクレームを開始。
- 電話での罵倒に留まらず、自宅付近への呼び出しや数時間に及ぶ謝罪強要へとエスカレートしました。
- 運転手は会社に「あの客が怖い」「担当を外してほしい」と何度もSOSを出しましたが、会社側は「接客業なのだから、上手く受け流せ」と忍耐を強いるのみで、担当交代や警察への相談といった具体的な防衛策を一切講じませんでした。
- その結果、極限まで追い詰められた運転手は自ら命を絶つという、取り返しのつかない結末を迎えました。
- 司法の判断と結論
- 裁判所は、会社が「従業員の心身が壊れる危険を具体的に予見できた」にもかかわらず、配転、当該客の乗車拒否、法的措置などの措置を怠ったとして、会社側の安全配慮義務違反を認定。
- 会社に対し、遺族へ約4,300万円の損害賠償支払いを命じました。
- 加害顧客の末路
- なお、執拗な攻撃を繰り返した乗客本人は、後に強要未遂罪などで起訴され、実刑判決を受けています。
- 司法は顧客の行為を「犯罪」と断じましたが、それ以上に「犯罪的行為から社員を守らなかった会社」の責任を、数千万円という賠償額をもって厳しく裁いたのです。
- 教訓
- 経営者が「誠意」という言葉で現場に忍耐を強いることは、司法の場では「被害を拡大させた不作為(義務違反)」という名の過失になります。
勝訴の鍵|大阪高等裁判所|福祉施設(社会福祉法人)事件・2015年(平成27年)12月24日
一方で、経営者にとって最大の防御指針となるのが、この「拒絶の正当性」を認めた判決です。
- 事案の概要
- 福祉施設の対応にミスがあり、それに対して利用者の家族が激昂しました。
- 家族は職員に対し、数時間にわたる怒号、人格を否定する暴言を繰り返しました。
- 施設側は「これ以上の対応は不可能」と判断し、一方的に面談を打ち切り、施設への立ち入りを禁止しました。
- 家族側は「サービスの提供義務違反だ」「誠意がない」として訴訟を起こしました。
- 司法の判断と結論
- 裁判所は、たとえ施設側に最初のミスがあったとしても、顧客の言動が「社会通念上、許容される範囲を逸脱している」場合、施設側が対応を拒絶したり立ち入りを禁止したりすることは、安全配慮義務を果たすための正当な業務行為であると認めました。
- 家族側の請求(慰謝料等)は棄却され、企業の対応が法的に肯定されました。
- 教訓
- 「一度ミスをしたら、何を言われても耐えなければならない」という呪縛を司法が解いた形です。
- 不当な態様には組織として即座に「NO」を突きつけることこそが、従業員からの「安全配慮義務違反」の訴えを封じる最強の防御策となります。
司法の視点|安全配慮義務は「個人対応」ではなく組織的介入の有無で判断される
これら2つの判決から浮かび上がる真実は明白です。
司法が見ているのは、トラブルが円満に解決したかどうかではなく、「会社が従業員の盾として、組織的な介入(遮断)の意思を示したか」という事実です。
現場の担当者を独りで戦わせず、組織として「これ以上の対応は拒絶する」と宣告し、そのプロセスを記録に残す。
この「毅然とした遮断プロセス」の証拠化こそが、2026年以降の経営を守り抜くための必須条件となります。
司法が認める「拒絶の境界線」― 安全配慮義務を尽くしたと評価される3つのチェックポイント
企業が「不当な要求を拒絶」し、従業員を保護したことが正当と認められるためには、司法の物差しを知っておく必要があります。
裁判官が「これ以上の対応は不要(=会社は安全配慮義務を果たした)」と判断する閾値(しきいち)は、主に以下の3点に集約されます。
1. 態様の不相当性|内容よりも「どのように言っているか」が問われる
たとえ顧客の言い分に正当な理由があったとしても、その「伝え方」が社会通念を逸脱していれば、企業には対応を打ち切る正当な権利が発生します。
- 身体的・精神的な攻撃
- 怒鳴る、机を叩く、人格を否定する暴言(「死ね」「無能」「給料泥棒」など)。
- 自尊心の侵害
- 土下座の強要や、謝罪の様子を動画で撮影しようとする行為。
- SNSを盾にした脅迫
- 「ネットに晒してやる」「お前の実名を特定して拡散する」といった、デジタル上の暴力による威圧。
- これらは、もはや「クレーム」ではなく「業務妨害」です。この一線を越えた瞬間、会社は従業員を即座に隔離する義務を負います。
2. 目的の不当性|要求内容が業務の範囲を逸脱していないか
要求の内容そのものが、法的・契約的な根拠を欠いている場合です。
- 過剰な金銭要求
- 商品の瑕疵(かし)とは到底見合わない、数百万円単位の慰謝料や「迷惑料」の要求。
- 「解決」ではなく「屈服」が目的
- 具体的な再発防止策や返金を求めるのではなく、従業員を泣かせたい、跪(ひざまず)かせたい、あるいは自分のストレス発散のために相手を支配したいという意図が見えるケース。
- 司法は「実害の回復」は保護しますが、顧客の「支配欲」や「攻撃性」までは保護しません。
3. 時間の不相当性|長時間・反復的な拘束は正当性を失う
カスハラ現場で最も従業員を疲弊させるのが、終わりの見えない拘束です。
- 合理的な説明の完了後
- 会社側が非を認め、謝罪し、具体的な対応策(交換・返金等)を提示し尽くした後も、なお「納得できない」と繰り返すケース。
- 長時間拘束
- 数時間にわたる電話、店舗への居座り、繰り返し同じ説明を強要し、他の業務を完全に停滞させる行為。
- 「納得するまで帰らない」は権利の行使ではなく、不法な拘束です。
- 合理的な説明を尽くしても平行線であるならば、組織として「これ以上の回答はありません」と宣告し、遮断することが法的に許容されます。
経営者が持つべき「免責の確信」|現場任せにしないという決断
これら3つのチェックポイントのうち、どれか1つでも該当すれば、企業は法的にも道義的にも「対応を打ち切る権利」を有します。
多くの経営者は「客に非があっても、こちらに少しでもミスがあれば耐えなければならない」と考えがちですが、前述の大阪高裁(2015年)の判決が示した通り、「企業の非」と「顧客の暴挙」は別問題です。
この境界線を明確に引き、組織として「ここからはNOである」と宣告することこそが、2026年の義務化時代において、従業員からの「安全配慮義務違反」の訴えを封じ、会社を守る最強の武器となります。
2026年基準の法的防衛術|カスハラ訴訟を防ぐ証拠化と遮断の仕組み
2026年10月の義務化以降、会社を守るのは「誠意」ではなく、組織として積み上げた「プロセスの証拠化」です。
現場の担当者が一人で耐え忍ぶのではなく、組織がシステムとして「盾」になるための具体的な運用手法を解説します。
「組織的宣告」の定型化|安全配慮義務を果たすための組織判断
カスハラ被害が拡大する最大の要因は、「担当者一人に対応を完結させようとする」ことにあります。
司法が企業の安全配慮義務違反を問う際、最も厳しく見るのは「組織として介入したか」という点です。
- 介入のトリガーを設定する
- 「暴言が出た瞬間」「拘束が30分を超えた時点」など、現場担当者が上司へエスカレート(引き継ぎ)する基準を明確にします。
- 管理職による「公式な宣告」
- 対応を打ち切る際、担当者に「もう電話を切ります」と言わせてはいけません。
- 必ず管理職や専門部署の人間が登場し、「組織としての公式回答」を宣告します。
- 定型フレーズの例
- 「これまでのご要望に対し、弊社としての最終回答は〇〇です。これ以上の要求や、先ほどのような暴言が続くようであれば、組織としてこれ以上の対応は致しかねます(遮断の予告)。」
- 「宣告」が会社を救う
- このステップを踏むことで、「不当に客を追い返した」のではなく、「安全配慮義務に基づき、組織として適切に遮断プロセスを履行した」という法的な正当性が確立されます。
記録(矛)の作成|カスハラ訴訟に耐える「事実記録」の作り方
従業員をカスハラから守り、同時に「会社が守ってくれなかった」という従業員からの提訴を防ぐ最強の盾。それが、感情を排除した客観的な記録です。
- 感想ではなく「文言」を記録する
- 「ひどいことを言われた」という感想は、証拠能力が低くなります。
- 「〇分〇秒、〇〇という発言があった」「机を〇回叩いた」という客観的事実(Fact)を時系列で記録します。
- 録音・録画の標準化
- 「トラブル防止のため録音しております」という事前告知は、加害者への強い抑止力になると同時に、裁判や警察連携における「動かぬ証拠(矛)」となります。
- 警察・弁護士連携へのブリッジ
- 事実のみが整理された記録があれば、警察への被害届や、弁護士を通じた禁示請求(出入り禁止等の通告)が極めてスムーズに進みます。
- このスピード感こそが、被害を受けた従業員に対し「会社は自分を守るために戦っている」という最大のメッセージとなります。
2026年、会社を守るのは「冷徹なまでの仕組み」|安全配慮義務を果たす設計思想
パタハラ対策が「社内の信頼」を築くためのプロセスであったように、カスハラ対策は「社外の理不尽」を排除するためのプロセスです。
「お客様だから」という理由で、証拠も残さず現場に解決を強いる時代は終わりました。
組織として介入し、事実を記録し、正当に拒絶する。
この一連のフローをマニュアル化し、2026年10月の義務化に備えること。
それこそが、将来の損害賠償リスクを回避し、貴重な人材を流出させないための、現代経営における「最強の防衛術」なのです。
まとめ|経営者の決断が安全配慮義務の成否を分ける
2026年10月の「カスハラ対策義務化」は、単なる法令遵守の課題ではありません。
それは、日本企業が長年囚われてきた「過剰なサービス至上主義」という呪縛を解き放つ、絶好の機会です。
従業員を「守るべきパートナー」と再定義する|人材が定着する会社の条件
かつての「お客様は神様」という言葉は、プロとしての自律を促すものでした。
しかし、それが顧客に「何をしても許される特権」を与え、従業員に「無制限の忍耐」を強いる免罪符へと変質してしまったのであれば、その価値観は今すぐ書き換えるべきです。
これからの経営において、顧客は「選ぶべき対象」であり、従業員は「何があっても守るべきパートナー」です。
従業員が理不尽な暴力にさらされているとき、経営者が真っ先にすべきことは、顧客への謝罪ではなく、従業員の前に立って盾になることです。
「正しいNO」を言える組織への再起動|理不尽を遮断する経営の覚悟
2026年、会社を守るために必要なのは、優れた接客スキル以上に、組織として「正しいNO」を突きつける勇気です。
- 理不尽な1%を切り捨て、99%の良質な顧客にリソースを集中させる。
- 個人の耐性に頼らず、組織のシステムで遮断する。
- 司法の境界線を武器に、毅然と法的防衛を貫く。
この決断こそが、深刻な人手不足が続く現代において、優秀な人材に「この会社なら安心して働ける」と選ばれ続けるための、最強のブランディングになります。
「組織が従業員の盾になる」と宣言すること。その一歩から、2026年の新基準に適合した、強くてしなやかな組織への再起動が始まります。
次回予告|成功事例に学ぶ|ハラスメント対策で成長する企業
「対策をしなければ罰せられる」という守りのフェーズは、あくまで第一段階に過ぎません。
ハラスメント対策の真の価値は、それが「企業の成長」に直結することにあります。
次回の記事では、先進的なハラスメント対策を導入し、目覚ましい成果を出している企業の具体的な成功事例を紹介します。
- 離職率が激減し、採用コストの削減に成功したサービス業の変革。
- 「悪質な客は断る」という方針を打ち出し、逆に優良顧客の満足度を高めた小売店の戦略。
- 心理的安全性が高まったことで、現場からのイノベーションが加速した製造業の現場。
ハラスメント対策を「コスト」ではなく、最強の「投資」へと変えた企業たちの実像に迫ります。 ご期待ください。
最後までお読みいただきありがとうございました。ご相談の際は、以下よりお気軽にお問い合わせください。☟
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- 執筆者|社会保険労務士 戸塚淳二(社会保険労務士登録番号|第29240010号)
- 日々、企業の「ヒト」と「組織」に関わる様々な課題に真摯に向き合っています。労働法の基本的な知識から、実務に役立つ労務管理の考え方や人事制度の整え方まで、専門家として確かな情報を初めての方にもわかりやすくお伝えします。

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